八田荘だんじり

10月3週目、祭りの最後は「八田荘だんじり祭り」です。
平成7年に家原寺町が新調した八田荘地区は、曳行される8台全てが岸和田型だんじりになりました。
平成29年から日程変更により、津久野地区との合同宵宮祭、鳳地区や小阪や東八田との交流曳行はなくなりましたが、毎年最後に見られる「だんじり祭り」として多くの見物人が八田荘に集まります。
蜂田神社
全町が宮入りする「蜂田神社」は、別名「鈴の宮神社」とも呼ばれ、だんじりの彫り物にも鈴を用いた図柄を目にします。
平成28年に地車購入した東堀上は深井清水町から分立した村であるため、深井地区の氏である野々宮神社で入魂式を行いました。
曳行だんじり
西四町:八田寺町・毛穴町・平岡町・家原寺町
東四町:堀上町・八田北町・八田南之町・東堀上
日程と曳行コース
試験曳きと宵宮は、曳き出し時刻が各町により異なります。
以下は、例年の曳行スケジュールを参考に記載していますので、「見物の目安」としてご覧ください。
試験曳き
9月最終日曜日ではなく、例大祭(10月第一土曜日)の前週日曜が試験曳きです。
10月7日が日曜日の年は、10月1日に試験曳きが行われます。
- 西四町:羽衣綿業 → 大池周回
- 東四町:神出 → 新道周辺
宵宮
10月第三土曜日を本宮と定め、前日が宵宮となる。
12:00 – 13:30 羽衣綿業(西四町・堀上町・八田北町)
14:00 – 17:00 家原寺町 → 津久野駅 → 大池周回(八田寺町・毛穴町・平岡町・家原寺町)
15:00 – 17:00 八田北町・堀上町(自主曳行)
16:00 – 17:00 八田南之町(自主曳行)
18:00 – 20:00 東堀上(自主曳行)
本宮
06:00 – 07:00 曳き出し
08:00 – 09:30 蜂田神社宮入
09:30 – 11:30 8町連合曳行(八田北町経由 → 神出 → 東堀上 → 堀上町)
12:50 – 16:00 新道パレード
19:00 – 21:00 大池パレード
残曳
09:00 – 10:30 西四町合同曳行とセレモニー
09:00 – 10:30 東四町合同曳行とセレモニー
12:50 – 16:00 大池パレード
19:00 – 21:00 新道パレード
八田荘だんじり曳行コース見どころ
八田荘地区の曳行スケジュールは、若干のコース変更はありますが、時間帯も含めて毎年同じです。
今では多くの地区で設けられている、周回コースをいち早く取り入れた八田荘地区であり、「神出」「ドット」の愛称でもお馴染みの、「やりまわし → Uターン → やりまわし」を繰り返す、「やりまわし合戦」コースを確立した地区でもあります。
蜂田神社 宮入
トップ画像は蜂田神社への宮入風景。
西四町は八田寺町方面から坂道を駆け上がり左にやりまわし、東四町は堀上町方面から直線を激走し、神社正面の駐車場に8台が並びます。
宮出後は、全町が八田西町を経由し八田荘老人ホームに向かうのが毎年固定のコースとなっていましたが、平成29年を最期にコース変更され、現在は蜂田神社から八田北町を経由して神出に入り、東堀上町に向かいます。
本宮の午前曳行は、8町が連なって曳行する唯一の時間帯であり、年に一度だけ西四町が旧神出に入ります。家原寺町は帰町すると午後からの新道パレードに間に合わないので、蜂田神社に地車を止めて昼食休憩をする年もあります。
運が良ければ「じっくり地車見学」できるかも?
新道パレード


東四町をメインにした周回コース。
- 午後曳行:やりまわしポイント「ローソン前」と「堀上南」交差点が有名です。
- 灯入曳行:夜も走る堺の祭りとは別世界。
電車で見に行く方は?
泉北高速「深井」から徒歩15分、阪和線「津久野」からタクシーで約1,000円くらいです。
大池パレード


西四町(大池体育館)をメインにした周回コース。
- 午後曳行:短い周回なので延々とだんじり見物を楽しめます。
- 灯入曳行:河内音頭も聞ける、昼とは違った曳行をご覧ください。
電車で見に行く方は?
阪和線「津久野」から徒歩10分です。
羽衣綿業

「ドット」「旧ドット」「羽衣綿業」の名称は、全て同じ交差点です。
西四町が8町連合曳き以外の時間帯に曳行するコース。
以前【.dot】という印刷会社があったため、「ドット」と呼ばれるようになりました。
元祖「やりまわし合戦」のコースと呼ばれ、4方向からの「やりまわし」が見られます。
神出

「神出」「旧神出」は、東四町が8町連合曳き以外の時間帯に曳行するコースで、閉院された【神出医院】の通称です。現在は焼肉店専用駐車場になりました。
新道パレードの東に位置し、「宮園交番前」交差点からは徒歩5分の場所です。
八田西町のだんじり

八田荘地区の日程変更に合わせて、10月3週目に行われていました。
以前は八田荘地区年番に加入し、宮入やパレードにも参加していましたが、コロナ以降は活動休止となり、令和7年6月に「お別れ曳行」と「抜魂式」を行い廃祭。


